最初から、負け戦だった。
そうと分かっていても捨てられなかった気持ちを、今もまだずっと持て余している。





喫茶ポケットへようこそ





「フラれたのよ!このアタシが!」

ダン、と水を一気に飲み干して空になったグラスをテーブルに叩きつける。割れても構うものかとの意気込みは空回り、見事に原型を留めたままのグラスに腹立たしさが一層募った。

「おーおー荒れてるねぇ」

カウンター席の向こう側でグラスを洗う店長が、にやにやとからかうように笑う。やっぱり、グラスを割ってやればよかった。何とも腹立たしい限りだ。

「もう一杯水やろうか?」
「いらないわよ!コーヒーを寄越しなさいよっ」

八つ当たり気味に喚き散らすと、はいはいと従順なフリをしたグリーンは洗っていたグラスを脇に退けて、背中の棚に手を伸ばす。
高校時代の後輩が経営しているという喫茶店は、今日も中々繁盛しているらしい。
割合付き合いのあった後輩二人が大学を中退したという噂を聞いて一体何事かと思えば、半ば道楽のような喫茶店を始めたのだとこれまた風の噂に聞いたのは、もう一年以上も昔のことだ。
あの時は何の冗談なのだと思ったものだけれど、一つも冗談ではなかったのだから笑えもしない。
グリーンは頭が良いのだと思っていたのだけれど(レッドは良いとも悪いとも言えなかった)、実は頭が悪かったのねと本気で思ってしまった。

「大体、こおぉんなに可愛い女の子を放っておくなんて、世の男共はどうかしてるわ」
「女の子って年でもないだろうが」
「るっさいわよ!喫茶店の店長は喫茶店の店長らしく、適当に相槌を打ってればいいのよ!」
「性質の悪い酔っ払いかよ・・・」

うんざりと溜め息を吐き出しながら、年若い店長は淹れ立てのコーヒーが入ったカップをカスミの前にコトンと差し出す。
いつもはたった一人の従業員にやれ愛想を良くしろだの笑えだのと言っているくせに、先ほどからうんざりとかげんなりとかそんな表現ばかりが似合うような顔をしているのだから、一体何処に説得力があるのだろうと勘繰りたくなった。
そんなことを思いながら首を傾げたところへ、丁度別の客にケーキやらコーヒーやらを運びに行っていた店員が戻って来て、カスミと目が合うと驚いたようにぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「あれ、カスミだ。いらっしゃい」
「ねぇちょっとウエイターさん、ここの店長愛想悪いわよー」

カスミの言を受けると、カウンター席の向こう側に食器を置きながら、不思議そうな顔でグリーンとカスミの顔を交互に見比べる。

「何?ケンカでもしてるの?」
「やぁね。可愛い後輩をいじめてるだけよ」
「最低だなこの先輩!」
「先輩に向かってそんな口を利いたらいけないんだよ、グリーン」

グリーンを窘めるような言葉を口にしながら、あははと楽しそうに声を出して笑う。まぁ珍しい。

「そういえばカスミ、今日は一人なの?彼氏と」
「わぁっ!」
「え、グリーン何、どうしたの」

きょとんと大きく目を見開くレッドをちらりと見やって、そういえばこの子は割合迂闊な子だったのだと今更なことを思い出す。
カスミから見ても可哀想だと思ってしまうほどびくっと肩を震わせたグリーン。その彼の手から滑り落ちて、ガシャン、と驚くほど大きな音を立てて落ちたグラス。更にはその音に驚いてレッドの手からも皿が落ちて、妙な図になった。
一体何をしてるんだろう。
別にアンタがそんなに動揺することじゃないでしょ、と心の中で呟いて苦笑を零す。というか、そこまで挙動不審じゃあ何かがあったと言っているようなものだ。

「一人なのよ。フラれたの。残念なことにね」

肩を竦めながら、溜め息と一緒に吐き出すように無邪気な後輩の質問に答えを差し出した。その瞬間にあからさまな程『しまった』と言わんばかりに顔が歪むから可笑しくて、無神経さを怒る気にもなれない。
昔から、そうだ。
無神経だけれど、無邪気で、ただ素直なだけだから性質が悪い。
最初はそんなことなかったはずなのに、いつの間にか手の掛かる後輩をずっと構い続けていたくなっていただなんて、まったく何の罠だったんだろう。

「カスミを振るんだから、ろくな奴じゃなかったんだよ」
「・・・少なくとも、アンタが言って良いセリフじゃないわよね、それ」
「何で」
「何でも!あーあ、喚きすぎてお腹空いちゃった。ちょっと、ケーキぐらい出してよ、気の利かない喫茶店ね」
「おいコラ、この間出したらダイエット中だとか言って怒ったのは何処の誰だ?」
「あら、慎み深い素敵なお嬢さんね」

さらりと返せばあからさまな程顰められた顔。きっとああいうのを苦虫を噛み潰したような顔と言うのだろうなぁと思いながら、渋々奥へ引っ込んでいく背中を見送る。
この店の愛想は何処で迷子になっているのだろう。

「今度はもっとちゃんとカスミを大切にしてくれる人を選びなよ」
「そうねー。お給料三ヶ月分を貯めて指輪を買った上で、プロポーズをしてくれるような人を探すことにするわ」
「・・・今時そんな人がいるかな」
「奇跡でも起こればいるでしょ」

適当に答えながらカウンターの向こうに手を伸ばして、くんくんと真っ黒なネクタイを戯れに引っ張ってみると、何してるの?と呆れたみたいに笑う。この笑顔を見るために必要とした随分と長い期間は、今となっては良い思い出だ。

(ぜんっぜん気付かないんだもんねぇ)

本当に、こんなに可愛くて素敵な女の子がいるのに、放っておくなんてどうかしてる。
気付かないなんて、おかしい。

(どんだけ他の人間が眼中にないのよ、まったく)

とうの昔に諦めてしまったけれど、今でもレッドのことは好きだと思う。だってやっぱり、大切な後輩だ。でも、グリーンも同じぐらい大切な後輩だから、もういい。悲しくもない。

「グリーン、カスミがなんかおかしいよ」
「そりゃいつものことだろ」

レッドが丁度奥から戻って来たグリーンに助けを求めるようにくるりと振り返ると、さも当然だと言わんばかりに断言をする。何ともまぁ失礼な後輩達だ。

「失恋したての人間に対する態度じゃないわ!」
「そうそう、そうやってカスミはいつでも元気に笑ってるか怒ってる方がいいよ」
「・・・どうせなら、笑ってる方が可愛いよとか言いなさいよね」
「図々しいなぁ、先輩は」
「るっさいわよ店長!」

仕方がないんだと思うことにしてからは、随分気が楽になった気がする。グリーンといる時以上に楽しそうにしているレッドを見たことがないのだから、カスミにはお手上げだ。
とどのつまりは、レッドにはグリーンがよくお似合いだというだけのこと。

「ほら、チーズケーキ。カロリーは控えめ、でも甘くて美味い」
「グリーンも何だかんだ言ってカスミのこと心配してるんだってさ」
「・・・まったく、素直じゃないわねぇ。だったら最初から言えばいいじゃない」
「るっせー。とっとと食って帰れっての」


あぁもう、本当に悔しいったら。






カスミちゃんは、高校時代の先輩です。
レッドのことが好きでした。

2010/5/8



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送